原発賠償ひょうご訴訟

原発賠償ひょうご訴訟 原発賠償ひょうご訴訟 原発賠償ひょうご訴訟
原発賠償ひょうご訴訟の傍聴へ行ってきました。
その前に神戸駅前で、原告・弁護団・サポーター有志による街宣活動に参加。
道行く皆さんに、国や東京電力が何の責任もとらないままであること、子どもたちを守るために避難してきたこと、いま避難の権利が認められなければ「関係ない」と思っている誰の身にでも将来起きうることを訴えました。
チラシを手に取って下さったみなさんが、少しでも関心を持ってくれればと思います。
裁判は、ひょうご訴訟はまだ原告のみなさん1人1人の尋問は行われておらず、今回も原告代理人は「原発設置後の規制基準を見直し安全対策を施せば、事故は回避できたはず」「原発事故と避難による損害は関連があるとするのが妥当」といった総論を主張する。
一方の被告代理人は資料を裁判官に提出するだけで、裁判ではほとんどしゃべらないため、裁判はわずか15分で終了しました。
最近、原発事故により避難した子どもたちがイジメにあってるというニュースが続いたせいか、珍しく記者席もほぼ満席。
傍聴した記者のみなさん、しっかりと現状を伝えて下さいね。

裁判終了後には、原告のみなさん・弁護団・支援者による報告集会が行われます。
冒頭はいつも、原告のみなさんがお話しされるんですが、今日は辛い思いを話して下さいました。
まずは、本人尋問の始まった京都訴訟を傍聴された方が、「事故を起こしたのは東京電力。私たちは何もしてないのに、どうしてあんなにプライベートを赤裸々に話さなければならないのか。」と、被告代理人からの尋問について憤りをあらわにされました。
別の方は、「子どもが避難先の学校に馴染めず、通えなくなったが、フリースクールと出会ったことで救われた。高校卒業資格を取得し今は前を向いて進んでいる。」と涙ながらに話されました。
「最近、避難先でイジメにあっている子どもたちのニュースが流れているが、学校に通う、あるいは通わせることだけが選択肢ではないことを知ってほしい。」と訴えられました。
そしてもう1人は小学6年生の時に、ランドセルを小学校に置いたまま、避難してきたという方。
「私は避難したくなかった。中学3年間、避難してきたことを黙っていたが、卒業の際、先生から「やっぱり話すべきだ!」と言われ、友達の前で話した。みんなは「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」と言ってくれた。避難先でイジメにあっている子どもたちのニュースを聞き、私は恵まれていると感謝した。」
そう涙を流しながら、話されました。
そりゃ生まれ育った土地だし、友達もたくさんいただろうし、なんで自分だけ避難しなきゃいけないのか?って思いもあっただろうし、子どもが「避難したくなかった」と思うのは当然ですよね。
来春から大学に進み、自分の経験を踏まえて災害時の福祉を学ぶそうです。

先行して京都訴訟で本人尋問が始まっています。
今後、関西訴訟やひょうご訴訟でも本人尋問が始まります。
それは、思い出したくないことを思い出したり、聞かれたくないことを聞かれたり、辛い時間だと思います。
それでも証言台に立つのは、決して自分たちのためだけではなく、「今ここで立ち向かわなければ、将来同じことが誰かの身に起きた時、誰も守ってくれない。」という強い思いがあるからこそ。
支援者と呼ばれる私たちのために、「遠い東北で起きたこと」「関係ない」と思っている人たちのために、すべての子どもたちのために、立ち向かってくれているのだと思います。
みなさんにお願いです。
この訴訟を自分のこととして、みなさんの子どもたちのために行われていることとして、一緒に応援してください。
よろしくお願いします。

ただ1つ忘れてならないのは、原発事故により被害を受けた人、影響を受けている人は、避難している人ばかりではありません。
避難したくても、それぞれの家族の事情によって避難できなかったり、避難先から戻った方たちもいます。
どういう選択をされて暮らしておられるかに関わらず、それぞれの選択が正解だったと言える支援がなされることが大切だと思います。

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