Archive for 災害ボランティア

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動11日目

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動11日目 子ども食堂ほっとここ 子ども食堂ほっとここ
鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動11日目。
久しぶりに伺いました。
道路は除雪されていましたが、道中の兵庫県北部も鳥取県内も先週降った大雪がかなり残っています。
ボランティアセンターも駐車場の一角に雪が山積みになっています。
午前中は、家具の移動と雪かきのお手伝い。
午後からは、ブルーシート張りに出かけましたが、屋根に上がった途端に天気が急変。
強い風に雨も降ってきたので、即中止となりました。
残りの時間は、地域のみなさんを訪問するための準備作業。
スムーズに方もできるよう、リスト化された訪問先を住宅地図にプロットしました。

たまたま今日は、近くの子ども食堂『ほっとここ』がオープンしているということで、お昼ご飯はみんなでそちらへ。
『ほっとここ』は12月17日に始まったばかりで、第1金曜日と第3土曜日にオープンするそうです。
元々11月のオープンを目指していたところに鳥取県中部地震が起き、壁や屋根瓦が被害を受け、それを乗り越えてオープンされたようです。

今日もたくさんの方が来られていて、私はボランティアメンバーと一緒に食べていたんですが、後ろのテーブルにお年寄りが1人で食べていたことに全く気づかず。
隣のテーブルで食べていたボランティアセンタースタッフでもある社協職員の方が「良かったら私たちと一緒に食べませんか?」と声をかけられました。
お年寄りの方は「いえいえ」と遠慮され、そのままお1人で食べられたんですが、「子ども食堂の趣旨からすると、そうやってみんなで楽しく食べるように気配りすることが必要だな!」と反省、ほろ苦い子ども食堂デビューとなりました。
倉吉に限らず、子ども食堂へ行った際は、みんなで楽しく食べようと思います。

丹波市豪雨災害ボランティアの仲間たち

丹波市豪雨災害ボランティアの仲間たち
2014年8月に発生した丹波市豪雨災害。
その時に活動した面々と再会してきました。
総勢40名ほど。
もちろん、もっとたくさんの方々が足を運んでくれ、災害復旧の手助けをしてくれたわけで、感謝するばかりです。
久しぶりに会うみんなは、それぞれがんばっているようで、「負けないようにがんばらねば!」と身が引き締まります。

阪神淡路大震災から22年

阪神淡路大震災から22年。
毎年書いていますが、知らない世代も増えているということなので、今年も書いてみます。
長くなりますが、知っていただくことも必要なのかなと思います。

私は阪神競馬場の近く、宝塚市仁川に住んでいました。
当時、大阪でサラリーマンをしていたんですが、出社前7:00にオープンする大阪梅田のスポーツジムに通っていたので、布団の中で目覚め、「そろそろ起きなきゃなぁ~」と思っていた時に5:46に。
激しい揺れに見舞われ、妻と2人、頭から布団を被っていると、背中に何かが当たりました。
「あっ、天井から照明が落ちてきた」と思いつつ、揺れが収まるのを待ちました。
揺れが収まり、起き上がってみると、背中に当たったのは天井照明ではなく、縦長の本棚が倒れてきてました。
本棚自体が軽いものだったのと、棚にあまり物が入ってなかったので、照明が落ちてきたように感じたんだと思います。
まわりを見回すと、部屋の中ではテレビが転がり、キッチンでは開き扉の食器棚から全ての食器が飛び出て割れ、床に散乱していました。
まさに「足の踏み場もない」状態です。
洗濯機につないでいた水道からは水が噴き出し、水浸しにもなりました。
しばらくすると外から「誰か助けて~」と女性の声。
私は2階建ての鉄筋の賃貸コーポに住んでいたんですが、同じ敷地内に同じ大家さんの持つ4階建ての鉄筋マンションと木造平屋の一軒家があり、声は平屋の方からしていました。
外へ出てみると、平屋は全壊、叫んでいた女性はそこに住むお母さんで、お子さん達が閉じ込められていました。
近所の方と一緒に屋根瓦をはがし、中学生の弟さんを助け出しました。
でも残念ながら高校生のお姉ちゃんは助け出すことができず、お亡くなりになりました。
あちこちで被害が出ているため、救急車が来ることはなく、雨戸板に寝かされ、毛布を掛けられていた姿は忘れられません。

自宅のライフラインは、電気とガスは止まっていましたが、水道はチョロチョロと出ました。
電気はその日のうちに復旧し、ご飯は炊けるし、ホットプレートなら調理もできる状態に。
明るくなってから、付近を少し歩きました。
アスファルトの路面はあちこちでひび割れ、ガスが漏れているようで、どこもガス臭く、木造アパートの多くは何らかの被害が出ていました。
まだ携帯電話のない時代、公衆電話の列に並び、神戸市垂水区の実家に電話しました。
どこにどれだけ被害が出ているのかを知る術はない状態だったので、「自宅もえらいことになってるのではないだろうか?」と心配してたんですが、母の第一声は「大事にしてたコップが一つ割れたのよぉ~」と想定外のもの、「ケガはないだろうか?」と心配して電話したのに、なんだか拍子抜けしました。
淡路島~神戸~宝塚と震度の大きかったコースから外れていたようで、 不幸中の幸いだったと言えます。

仁川から大阪へは、阪急今津線で西宮北口へ出て、阪急神戸線で梅田へ行くわけですが、今津線をまたいでいる新幹線の高架とR171の高架が落下し、今津線は不通。
自宅の片づけもあるため、3日間会社を休みました。
スーパーの長い列に並び、食材を調達しましたが、あまり食欲が湧かなかったことを覚えています。
4日目、大阪の親戚宅に居候させていただくことになり、妻と2人、西宮北口まで1時間かけて歩き、阪急電車に乗って梅田に向かいました。
車窓から外を見ていると、全壊の家屋、1階が押しつぶされたマンションなどが立ち並んでいましたが、武庫川を越えると様子は一変、そこには日常がありました。
パチンコ店が通常通り営業していたことにショックを受けました。
大阪に着くと、ほんとに何ごともなかったようにお店は開き、人々は行き来していました。
親戚宅での居候は2週間。
仁川から西宮北口までは相変わらず不通でしたが、隣の小林駅から反対方向の運転が再開され、少し遠回りですが宝塚経由なら通勤できるようになったため、帰宅しすることにしました。
それでもガスは復旧していなかったので、仕事が終わったら大阪で銭湯に立ち寄り、お風呂に入ってから帰宅する生活がしばらく続きました。

宝塚市でも多くの方が避難所暮らしとなりました。
ただ、神戸での被害があまりにも甚大だったため、報道も神戸中心。
私の住んでいた仁川の山沿い、百合野という地区では、地震によっておよそ100m四方の斜面が深さ15mも崩れ、13戸が押しつぶされ、34名の方がお亡くなりになっています。
そのことが報道されたのは、しばらくたってからだったように思います。
今は、その被害を風化させないよう、百合野地区に地すべり資料館が建てられています。
1.17、どうしても神戸に関心が集まり、報道も神戸が中心になっていますが、他の地域でも大きな被害が出て、たくさんの方が亡くなられています。
地すべり資料館、いつか訪ねてみようと思いつつ、未だ行けていません。
今年こそは訪ねてみたいと思います。

ボランティア元年と言われる阪神淡路大震災の起きた1995年。
自宅にボランティアに来ていただくこともなく、仕事が忙しかったこともあり、ボランティアに行くこともせず。
2014年8月の丹波市豪雨で災害ボランティアに行ってみると、全国各地から本当にたくさんのみなさんが来られていました。
それをきっかけに、私も支援活動に行くようになりました。
2015年9月には、北関東・東北豪雨災害があり、栃木県鹿沼市・宮城県大和町・茨城県常総市で活動しました。
「丹波に行きましたよ!」というボランティアにもたくさん会いました。
そして昨年2016年は熊本地震と鳥取中部地震が発生。
常総市でできたつながりを頼りに、5月と8月にそれぞれ5日間、南阿蘇村へ。
地震被災地での活動は初めてで、豪雨・土砂災害とはまた違った活動を経験。
倒壊したお宅の安全確保をしていただいた上で、室内で貴重品探しをしたり、屋根上でブルーシートを張ったり。
倉吉市でも、ブルーシートを張ってます。

なぜ支援活動に行くのだろう?
もちろん、困っている被災者さんの役に立てることをするために。
それは「地元の方が前を向くお手伝いなんだな」と感じています。
そして、一緒に活動するボランティアのみなさん、ボランティアセンターのみなさんとつながりを築くことがとても大切。
いつどこで起きるかわからない災害、明日は私の住む町で起きるかもしれない。
そんな時には、つながりのあるみなさんがきっと支援に来て下さる。
災害は起きないのが一番ですが、起きるたびに少しずつつながりが広がっています。

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動10日目

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動10日目 鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動10日目 鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動10日目
鳥取中部地震の倉吉市災害支援活動、通算10日目。
今日も屋根のブルーシート張りでした。
午前中は5人で作業に取りかかったものの、かなり大きなお宅で、とてもじゃないけど今日中には終わらなさそう。
午後になり、他のお宅で作業を終えたチームが応援に来てくれましたが、それでも一部は継続となりました。

支援活動は、全国から集まった資材や機材を使って作業しています。

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動9日目

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動9日目 鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動9日目 鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動9日目
年内最後、倉吉市災害支援活動行ってきました。
午前中、まずは既に壊してあるブロック塀のガレキを路肩から災害ゴミ捨て場へ。
軽トラではなく、2tダンプだったため、2往復で終了。
その後は、別チームのブルーシート張り直し作業の応援へ。
かなり大きなL字型の寄せ棟屋根で、てっぺんの棟瓦だけでなく、それぞれの隅に向かう棟瓦も崩れて、大量の土が大きな塊のまま、あるいは小さな粒となって流れ出していました。
シートを張る準備を進めているメンバーと、崩れ広がった土をひたすら回収するメンバー。
私は後者の作業を担当し、手ぼうきやモップを片手に掃除、掃除、掃除。
ブルーシートが張られてからは、土のうをヒモで固定しました。
日暮れまで作業しましたが、ブルーシートを押さえる土のうの数が足りず、仮固定して終了。
明日に持ち越しとなりました。

南阿蘇でちょっとだけやった屋根での作業も、倉吉では何度も行い、そのたびに装備の不足を感じ、仕事柄いろいろと持っていた工具を屋根上でも使えるよう、ベルトや腰袋。落下防止金具などを買い足しています。
今回はカッターくらいしか出番ありませんでしたけど。

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動8日目

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動8日目 鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動8日目
鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動、通算8日目。
ブルーシートを張った屋根から雨漏りがするというお宅へ7名で伺いました。
地震で大きく崩れた棟瓦をそのままにしてシートをかけてあったために、雨が降ると水が溜まる部分ができてしまうようで、それが雨漏りの原因のようでした。
そこでシートを撤去し、棟瓦を積み直してシートをかけ直すことに。
1枚目の写真は積み直し途中のもので、実際はもっと大きく崩れていました。
午後一番は2名で別のお宅へ伺い、1時間ほど作業。
こちらは、室内の壁の一部が崩れ、残りの部分がグラグラする状態。
「今はどこも業者不足で、壁の補修もいつ来てくれるかわからない。それまでに地震が起きて崩れるのが不安。」という家主さんの要望で、壁を垂木に固定しました。
その後は午前中の現場に戻り、シートを張って、野地板や土のうを使ってシートがめくれないように固定して作業終了。
まわりを見渡せば、風にあおられているブルーシートもいくつかありました。
屋根修理がいつになるかわからないお宅がたくさんあります。
今以上にお家が傷まないといいのですが・・・。

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動7日目

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動7日目 鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動7日目 鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動7日目
鳥取中部地震の倉吉市災害支援活動、通算7日目。
今日も屋根作業でした。
地震により2階の棟瓦が壊れて落下。
そのために2階だけでなく、1階の瓦も多数割れたり、ずれたりしているお宅での作業でした。
瓦をかなりの枚数下ろしてからブルーシートを張るということで、これが結構な重労働。
4人がかりでしたが、腰が痛くなりました。
日中は動けば汗ばむほどの陽気でしたが、3時を過ぎると冷え込んできて、作業を終える頃には寒いくらい。
ということで、ボランティアセンター近くの銭湯「大社湯」へ。
被災して、つい最近再開された銭湯ですが、明治40年創業という老舗。
表もレトロですが、中もレトロ。
どんな感じなのか、お伝えしたいのはやまやまですが、みなさんも倉吉へ行った際に立ち寄って自分の目でお確かめ下さい。

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動6日目

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動6日目
鳥取中部地震の倉吉市災害支援活動、通算6日目。
今日もブルーシート張りでした。
倉吉をはじめ、三朝町、北栄町、湯梨浜町など今回の地震で被災した町は、これから雪の季節を迎えます。
でも、工務店や大工さんの手は足りず、傷んだ屋根は、いつ修理してもらえるかわかりません。
冬を越すためのブルーシート張り。
私はいったん帰宅しますが、もし「屋根上がれるよ!」という方がいらっしやいましたら、ぜひ倉吉へ。
ブルーシート張り以外にも、がれきの運び出しやお家の片づけなどの要望も寄せられているので、時間のとれる方は力をお貸しください。
1月末までは、高速道路料金無料の措置も継続されています。

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動5日目

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動5日目
鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動5日目。
今朝もブルーシートを押さえる土のうづくりからスタート。
そして午前中は1軒のお宅で作業しました。
午後からは倉吉市を離れ、鳥取市へ。
先週、倉吉市災害ボランティアセンターで知り合った鳥取大学生たち。
篠山市でやってる「みんなで減災し隊!」の活動に共感してくれて、「鳥取市でもやりたい!」と言うので、その道筋をつけに大学生と一緒に鳥取市役所の危機管理課へ行ってきました。
担当者からは「災害が起きれば、行政も消防も助けに行くことはできない。自助・共助が大切なので、町内会単位で防災力を高めてもらうことに市は力を入れている。大学生もそれぞれが住む町内会の一員として、防災に取り組んでほしい。」と言われました。
鳥取大学があるのは湖山という地区で、そこには20くらいの町内会があるらしいのですが、下宿の大家さんは地元に住んでないケースも多いようで、町内会とつながるのは難しそう。
湖山地区全体の防災に力を注いでる方とは連絡が取れそうなので、その方とアポを取って、地区の防災訓練に参加するもしくはお手伝いする方向で大学生は動くことになりました。
鳥取大学は湖山地区の避難所の1つでもあるので、いざという時の避難所運営にもつながるように。

また、鳥取大学工学部に災害専門の先生が何人もいるらしく、「大学生独自に防災活動するなら、その先生たちのアドバイスを受けるのが良い。」という情報もゲット。
中でも身近な減災・防災について講演されたことのある先生にまずは相談してみようという話になりました。
それに加えて、市で持っているたくさんの防災DVDも勉強会などを開く際には貸し出し可能と確認できました。

市役所を出て、次は「とっとり震災支援連絡協議会」の事務所へ。
ここは、東日本大震災で鳥取県に避難してこられた方々の支援を行っています。
「災害支援をしよう」と団体を立ち上げたものの、被災地に行くか、募金するかしか思いつかなかったという大学生たちに、鳥取にいてもできることがあると伝えて、活動の場ができたらいいなという思いで訪ねることに。
鳥取県には今もたくさんの避難者がいらして、協議会ではその方たちを対象に定期的にお茶会を開いています。
「鳥取県は東西に長いので、お茶会は東部・中部・西部に分けて開いてるが、避難者の方々が地域に根付くに従い、学校行事だったり、地域の行事だったりで、参加者が減ってきてる。それはそれで良いこと。ただ、1人でも必要とする人がいる限りは続けていく。」とおっしゃっいました。
そんな中、年2回、芋煮会とクリスマス会は全県から集まるイベントを開き、それを手伝ってくれる学生を鳥取大学の先生にお願いしてると言われました。
その先生は市役所で「相談してみよう」という話になった先生でした。
もう、この先生をつかまえるしかありません。
今日一緒に行動した大学生。
早ければ、今年のクリスマス会から「鳥取市にいてもできる支援」に加われそうです。
大学生たちのこれからに期待大です!

鳥取中部地震、倉吉市災害支援活動4日目

鳥取地震、倉吉市災害支援活動4日目 鳥取地震、倉吉市災害支援活動4日目 鳥取地震、倉吉市災害支援活動4日目
鳥取地震、倉吉市災害支援活動、通算4日目。
朝一番は、ブルーシートを押さえるための土のうづくりからスタート。
7人で140袋ほど作ったでしょうか、これでブルーシート張りの2~3班が使うほぼ1日分かな。
倉吉市の防災センターには、住民の方が持ち帰れるよう、土と袋が用意してありました。
土のうを作り終え、いったんボランティアセンターに帰り、必要な資材を積み込んで、いざ出発。
今すでに雨漏りしているなど、緊急度の高いお宅から作業を進めています。
ブルーシート張りのできる人員が減ってきてることもあり、災害ボランティアセンターは、ブルーシート張りについては雨漏りしているお宅からの要望のみ新規受付してるそうです。

あがらせていただいた2階の大屋根から町を眺めてみると、ブルーシートがたくさん見えます。
工務店や大工さんの手が足りず、いつ来てもらえるかわからないのが現状。
それまでのつなぎになればと、ブルーシート班は活動しています。