Archive for 東日本大震災

地図から消される街

地図から消される街
『地図から消される街 3.11後の「言ってはいけない真実」』読み終えました。
福島第1原発事故から7年。
朝日新聞の青木美希記者が事故直後から取材した現場・現実を伝える一冊です。
現地採用の東電職員や除染作業員の置かれている現実、国の帰還政策、官僚たちの告白、原発イジメの真相、避難者への支援打ち切りなど、とても丁寧に取材されています。
「どうして国は国民を守ってくれないのだろう」
7年がたっても、原発災害は今も収束していません。
避難した人、住み続けている人、避難先から戻った人、全ての人の選択はそれぞれが「この選択をして良かった」と思えるよう、それぞれに必要な支援がなされますように。
そして、この本が伝えていることは、将来どこかで事故が起きれば、やっぱり国は国民を守ってくれないということ。
決して福島だけのことはなく、自分のこと、自分の子どもや孫のことと考えて、この本を読んでほしい。

JR西日本あんしん社会財団 活動助成贈呈式

JR西日本あんしん社会財団 活動助成贈呈式 JR西日本あんしん社会財団 活動助成贈呈式
JR西日本あんしん社会財団 活動助成贈呈式 JR西日本あんしん社会財団 活動助成贈呈式
福島第1原発事故による放射能の影響を受けている子どもたちと保護者を招く『笑顔つながるささやまステイ』
H30年度は、JR西日本あんしん社会財団の活動助成に採択されました。
今日はその贈呈式。
東日本大震災や広島土砂災害の被災地・被災者支援、防災啓発活動や防災に関する研究など、55の団体や個人に助成されます。
順番に壇上へあがり、贈呈書を受け取ったあとは、活動の紹介や助成を受けての意気込みなどを1分間スピーチ。
まだまだ保養が必要とされている現状を伝え、「今夏も子どもたちのたくさんの笑顔に出会えるよう、保護者のみなさんにもリフレッシュして元気になっていただけるようガンバリマス!」と宣言してきました。

それにしても被災地・被災者支援や防災啓発は、いろんな切り口がありますね。
贈呈式後の交流会では、様々な活動のみなさんとつながることもできました。
採択いただいた助成金、大切に使わせていただきます。

笑顔つながるささやまステイ 2018夏始動

笑顔つながるささやまステイ 2018夏始動
今夜は、笑顔つながるささやまステイの実行委員会。
2018夏ステイに向けて始動しました。
先月参加した「ほよう全国交流会」の報告を行い、福島をを取り巻く状況を確認しあい、今年の活動や今後の作業について話し合いました。
参加していただける人数には限りがありますが、まだまだ必要とされる保養。
今夏もたくさんの笑顔に出会えるよう、実行委員一丸となって進めていきます。

引き続き、みなさまもご支援いただきますようお願いいたします。
【振込先】
郵便振替口座 00930-3-331578
加入者名 笑顔つながるささやまステイ
★1口3,000円、口数制限はありません
★協賛企業(1口10,000円)も募集しています

明日は京都原発避難者訴訟の判決日

明日は京都原発避難者訴訟の判決日。
原告の多くは「放射線量の高いところでは暮らせない」あるいは「子育てできない」と自主的に避難された方々。
『不安があるから避難する』
そんな誰もが抱くであろう避難の権利を認めてもらうための裁判です。
その権利が認められなければ、将来、どこかの原発で事故が起き、あなたのお子さんやお孫さんが避難したいと思っても、避難の権利が認められないということ。
そう、決して原告の方々の問題だけではないんです。
ぜひとも良い判決が出ますように。

一方で今も福島に暮らしているみなさんにも、放射能からの影響をできる限り避ける正しい情報の提供や支援も必要。
避難した人、住み続けている人、避難先から戻った人、それぞれに必要な支援がなされますように。

広河隆一さんの講演会

広河隆一さんの講演会 広河隆一さんの講演会
先週から写真展を行っていた広河隆一さんの講演会。
「80人くらい集まればいいなぁ~」というスタッフの予想を大きく裏切り、150人もの方々が来られる大盛況。
市長をはじめ、市民安全課の職員、教育長や市議会議員も来られていました。
広河さんの講演だけでなく、内容はかなり盛りだくさん。
篠山市副市長からは、安定ヨウ素剤を配布し、原子力災害ハンドブックを作るに至った経緯などの話。
その後は、ジャーナリスト守田敏也さんと広河さんのトークセッションでした。
写真家としてチェルノブイリ原発事故を追い続け、福島第1原発事故の写真を撮り続けている経験から話される広河さんの話は説得力がありました。
ご自身も沖縄の久米島で保養をされている広河さん。
ささやまステイも勇気をもらいました。

福島の今

福島の今 福島の今 福島の今
先日、福島へ行ってきた。
とある駅のホームから撮った写真。
3枚目は4年前に撮ったもの。
そこは4年前と変わらず、除染により集められた放射能汚染物の仮置き場でした。
先日伺った話によると、仮置き場への運びだされず、今なお自宅の軒下に置かれていたり、庭の片隅に埋められているものもあるとのこと。
2016年10月に行ったときに、確かに軒下に置いてあるものも見かけました。
復興のことばかりニュースに流れる東日本大震災、次から次へと新たに起きる災害。
関心を持ち続けることは難しいけど、福島第1原発事故による災害は今も現在進行形。
どうかみなさんも心を寄せて下さい。
笑顔つながるささやまステイのような保養も、そんな活動の1つ。
ご支援いただきますようお願いいたします。
http://sasayama.imfo/

つなぐ

つなぐ つなぐ つなぐ
つなぐ つなぐ
ほよっと全国交流会への参加に合わせ、ささやまステイに参加された方、篠山にご縁のある方をつなぐ活動。
できることなら、全員が一堂に会する場を設けたかったのですが、どこかに泊まっていただくわけではなかったので、広~い福島県+宮城県では、それもかなわず。
1対1あるいは近隣の方に集まっていただくという形になりました。
1年365日のうち、ステイはたったの4泊5日。
『参加した年が違ってもつながり、日々暮らす中でまた会う機会を作ってもらいたい』
そんな想いの第一歩です。

私たちの決断 あの日を境に

私たちの決断 あの日を境に
全国各地で提訴されている原発賠償訴訟。
その1つが京都訴訟。
来月3月15日に、京都地裁で判決が出されます。
原告は、原発事故による放射能の影響を受けて避難されているみなさん。
多くは「子どもたちを被ばくから守りたい」と避難された方々。
京都からさらに他の土地へ移られた方、何らかの事情で避難元へ帰られた方もいらっしゃいます。
そんなみなさんが、1冊の本を出版されました。
『私たちの決断 あの日を境に・・・・・』
避難を決意するに至った経緯や、その後の苦労・苦悩を、そして事故を起こした東京電力と原発政策を推し進めてきた国への怒りや責任を問う姿勢。
想い出すのも辛い日々や込み上げる想いが綴られています。

原告の皆さんは「避難の権利を認めてほしい」と訴えておられます。
それは決して自分たちのことだけではない。
もしこの訴訟で避難の権利が認められなければ、将来どこかで事故が起きた時、その近隣の人たちが避難する権利も認められないということ。
それは、あなたの子どもたちや孫たちかもしれません。
まずは知り、そして応援してください。
3日前に購入した時点で、本の残りは100部を切っていて、増刷の予定はないそうです。
申込はこちらから。https://goo.gl/4eqhPM

保養キャンプはなぜ必要なの?

保養キャンプはなぜ必要なの?
京都で行われた「保養キャンプはなぜ必要なの?」というイベントに参加してきました。
場所は『12人の絵本作家が描くおうえんカレンダー原画展』の堺町ギャラリー。
このカレンダーの売上は、東日本大震災の原発事故の被災者を支援する団体に寄付されます。
今年で3年目、8,000本を完売したそうです。

今日のイベントではまず、保養団体を支援する子ども被災者支援基金の理事から、この7年間の保養を取り巻く環境の変化について報告がありました。
事故当初、状況もよくわからないまま「とにかく子どもたちを高線量の被ばくから守りたい」と、疎開のように始まりました。
その後、日常生活で長期低線量被ばくと共存する中、チェルノブイリ原発事故に学び、保養が行われるようになりました。
ただ、放射能を気にする人、気にしない人、気にしてるが口に出さない人など、誰がどんな考えているのかわからず、近所付き合いや人間関係を崩さないために「保養に行く」と言いづらい状況が生まれました。
そして7年がたとうとする今、強制避難区域はほとんど解除され、安心安全と帰還政策が進められています。
保養という言葉は福島県なども使わなくなり、原発事故自体をなかったことにしたい行政の姿があります。

続いて、滋賀県・京都府で保養を行っている団体からの状況報告。
予定にはありませんでしたが、笑顔つながるささやまステイのことも少しお話しさせていただきました。
受け入れる対象や期間は、保養団体によって様々。
子どもだけ、親子、どちらも可。
1週間未満の保養もあれば、夏休み期間ずっと受け入れる団体もある。
スタイルも、施設で合宿、一戸建てで共同生活、マンションのように家族ごとに別部屋、ホームステイ等々。
いずれの保養も多くの人から支援を受け、多くの人が関わって成り立っている。
『まだまだ必要とされている保養を長く続けたい!』
その想いは共通。
より多くの方に知っていただき、応援してもらうには、保養の質を上げていくことも大切。
そうすることで認知度を上げ、「それは続けなきゃ!」と応援してくれる方を増やすことにつながる。

ささやまステイに参加されたみなさんからも「保養は私たちの希望。長く続けてください。」との声を聞く。
これからも、今まで以上に多くの方に知っていただき、応援してもらえるよう、活躍していきます。

震災から7年目の「兆し」

震災から7年目の「兆し」
東日本大震災から7年目の「兆し」
~福島県浪江町から避難した福祉作業所の経験と今~

昨日は、原発から10km強にあった作業所の経験と今に関するお話し会に参加してきました。
3月11日、当日は通院される方が多かったこともあり、作業所には職員2名と利用者5名しかおらず。
そして地震。
作業所は山あいにあり、津波が自分たちの町を襲っているとは考えもせず、「家族も心配しているだろう」と利用者を家族の元へ送り届けた。
今思えば、作業所に留まるという選択肢もあったかもしれない。
そして翌12日夕方、「総理大臣の命により、原発から20km圏外へ避難して下さい。」という防災無線が流れ、職員も利用者もそれぞれに避難した。
「2~3日避難していれば帰って来られるだろう」そんな気持ちで避難して、はや7年目。

まずは統合失調症を患う利用者さんが、遠く離れた二本松市の体育館へ避難して困ったことについてのお話し。
寒い、人が多い、眠れない、温かい食べ物がない。
避難所生活はいろいろと苦労があったが、一番は薬の確保。
持っていた薬がなくなると、幻聴や妄想が始まった。
自分で車を運転できるため出かけたかったが、ガソリンが手に入らない。
保健師に連絡を取り、病院へ連れて行ってもらったが、病院はそれどころではない状況。
仕方なく薬局へ向かったが、処方箋がなかったため、1週間分しかもらえない。
避難所近くの産婦人科にお薬手帳を持って行くと、専門外であった医師がいろいろと調べてくれ、2週間分の薬を無事にもらうことができた。
『お薬手帳は本当に大切』
今は、福祉作業所・両親・自分のと、場所を分散してコピーを用意している。
もう一つは、体育館に相談できる相手がいないこと。
まわりに知っている人がいないのは本当に不安。
いつも会っていた職員の方と再会したときは、ホッとした。
もし災害で避難することになった場合、職員の方には避難所をまわって利用者を探し、安心させてほしい。

続いて、職員の方のお話し。
2011年10月、浪江町の仮役場ができた二本松市で作業所を再開。
避難先ではまわりは知らない人ばかりで、日中だけでも知っている人に合える作業所は利用者に大きな安心かを与えている。
当時作業所に通っていた15名のうち、今も元気に過ごしているのは7名。
作業所へ通えなくなり、自宅で過ごしている3名、入退院を繰り返している3名、6年以上入院している2名、合計8名は震災により大きく人生が変わってしまった。
私自身の自宅も帰還困難区域にある。
津波は家も家財も一気に失う。
それに対し、原発事故による放射能汚染では、汚染に加え、獣害、転居先が狭くて持って行けないなどの理由で、家も家財も形あるものを捨てていかなければならない。
それはそれで非常につらい。
現在、職員は非常勤も含め10名、利用者は25名。
私も含め、職員の数人は単身赴任状態。
H29.7現在、東日本大震災による浪江町の直接死は182名、災害関連死は407名。
放射能への不安は消えず、家族や地域は分断されたまま。
原発事故の収束にはまだまだ長い年月がかかる。
私たちはそんな状況の中で、福祉作業所を再開して5年になる。
災害後の再建について、老人介護施設については国からの保障があるが、自立支援施設には保障がない。
二本松市は広く、利用者の送迎がかなり大変でコストもかかっている。
一部が避難解除となった浪江町に、ちょっとひと息つけるカフェも開きたい。
これからも、支援・応援よろしくお願いします。