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篠山市畑地区総合防災訓練

篠山市畑地区総合防災訓練 篠山市畑地区総合防災訓練 篠山市畑地区総合防災訓練
篠山市畑地区総合防災訓練 篠山市畑地区総合防災訓練 篠山市畑地区総合防災訓練
篠山市畑地区総合防災訓練 篠山市畑地区総合防災訓練 篠山市畑地区総合防災訓練
今日は篠山市畑地区総合防災訓練に『子どもと女性のための避難所展示』で出展しました。
体育館の一部スペースを使っての展示なので、テントと間仕切りを活用して必要なスペースを見ていただくことに
”子どものためのスペース”と聞くと、ついつい未就学児や小学生が遊ぶスペースがまず思い浮かびますが、避難所暮らしで力を発揮してくれる中高生にも、ゆっくり過ごす時間や、集中して勉強するようなスペースも必要です。
そして”女性のためのスペース”としては、更衣室・授乳室・洗濯物干し場などが必要となります。
中央のテーブルには、使い捨てほ乳瓶・粉ミルク・おしりふき・おむつといった赤ちゃんグッズ、生理用品・最小限の化粧品など、女性に必要となるグッズをはじめとする様々なグッズを展示。
そして着替えは、季節毎に入替が必要になることを伝えました。
以前、あんどうりすさんの講演で聞いた「メーカーの異なるレインウェアでも、YKKで同じ型番のジッパーなら連結できる!」というワザを使い、抱っこした赤ちゃんを雨から守る方法も初めて展示してみました。

展示を見て下さった多くの方の備えが充実しますように。
万が一、避難所生活をされる時には、子どもや女性に配慮した運営がなされますように。

阪神淡路大震災から24年

阪神淡路大震災から24年 阪神淡路大震災から24年 阪神淡路大震災から24年

阪神淡路大震災から24年。
今日は午前5:46を東遊園地で迎え、午前中は兵庫県立大学減災復興政策研究科の講義が無料で受講できるということで人と防災未来センターへ。
午後は、国際会館で開かれた避難訓練コンサートへ行ってきました。
1.17に丸一日神戸にいたのは久しぶりです。

毎年書いていますが、知らない世代も増えているということなので、今年も書いてみます。
長くなりますが、知っていただくことも必要なのかなと思います。

私は阪神競馬場の近く、宝塚市仁川に住んでいました。
当時、大阪でサラリーマンをしていたんですが、出社前7:00にオープンする大阪梅田のスポーツジムに通っていたので、布団の中で目覚め、「そろそろ起きなきゃなぁ~」と思っていた時に5:46に。
激しい揺れに見舞われ、妻と2人、頭から布団を被っていると、背中に何かが当たりました。
「あっ、天井から照明が落ちてきた」と思いつつ、揺れが収まるのを待ちました。
揺れが収まり、起き上がってみると、背中に当たったのは天井照明ではなく、縦長の本棚が倒れてきてました。
本棚自体が軽いものだったのと、棚にあまり物が入ってなかったので、照明が落ちてきたように感じたんだと思います。
まわりを見回すと、部屋の中ではテレビが転がり、キッチンでは開き扉の食器棚から全ての食器が飛び出て割れ、床に散乱していました。
まさに「足の踏み場もない」状態です。
洗濯機につないでいた水道からは水が噴き出し、水浸しにもなりました。
しばらくすると外から「誰か助けて~」と女性の声。
私は2階建ての鉄筋の賃貸コーポに住んでいたんですが、同じ敷地内に同じ大家さんの持つ4階建ての鉄筋マンションと木造平屋の一軒家があり、声は平屋の方からしていました。
外へ出てみると、平屋は全壊、叫んでいた女性はそこに住むお母さんで、お子さん達が閉じ込められていました。
近所の方と一緒に屋根瓦をはがし、中学生の弟さんを助け出しました。
でも残念ながら高校生のお姉ちゃんは助け出すことができず、お亡くなりになりました。
あちこちで被害が出ているため、救急車が来ることはなく、雨戸板に寝かされ、毛布を掛けられていた姿は忘れられません。

自宅のライフラインは、電気とガスは止まっていましたが、水道はチョロチョロと出ました。
電気はその日のうちに復旧し、ご飯は炊けるし、ホットプレートなら調理もできる状態に。
明るくなってから、付近を少し歩きました。
アスファルトの路面はあちこちでひび割れ、ガスが漏れているようで、どこもガス臭く、木造アパートの多くは何らかの被害が出ていました。
まだ携帯電話のない時代、公衆電話の列に並び、神戸市垂水区の実家に電話しました。
どこにどれだけ被害が出ているのかを知る術はない状態だったので、「自宅もえらいことになってるのではないだろうか?」と心配してたんですが、母の第一声は「大事にしてたコップが一つ割れたのよぉ~」と想定外のもの、「ケガはないだろうか?」と心配して電話したのに、なんだか拍子抜けしました。
淡路島~神戸~宝塚と震度の大きかったコースから外れていたようで、 不幸中の幸いだったと言えます。

仁川から大阪へは、阪急今津線で西宮北口へ出て、阪急神戸線で梅田へ行くわけですが、今津線をまたいでいる新幹線の高架とR171の高架が落下し、今津線は不通。
自宅の片づけもあるため、3日間会社を休みました。
スーパーの長い列に並び、食材を調達しましたが、あまり食欲がわかなかったことを覚えています。
4日目、大阪の親戚宅に居候させていただくことになり、妻と2人、西宮北口まで1時間かけて歩き、阪急電車に乗って梅田に向かいました。
車窓から外を見ていると、全壊の家屋、1階が押しつぶされたマンションなどが立ち並んでいましたが、武庫川を越えると様子は一変、そこには日常がありました。
パチンコ店が通常通り営業していたことにショックを受けました。
大阪に着くと、ほんとに何ごともなかったようにお店は開き、人々は行き来していました。
親戚宅での居候は2週間。
仁川から西宮北口までは相変わらず不通でしたが、隣の小林駅から反対方向の運転が再開され、少し遠回りですが宝塚経由なら通勤できるようになったため、帰宅しすることにしました。
それでもガスは復旧していなかったので、仕事が終わったら大阪で銭湯に立ち寄り、お風呂に入ってから帰宅する生活がしばらく続きました。

宝塚市でも多くの方が避難所暮らしとなりました。
ただ、神戸での被害があまりにも甚大だったため、報道も神戸中心。
私の住んでいた仁川の山沿い、百合野という地区では、地震によっておよそ100m四方の斜面が深さ15mも崩れ、13戸が押しつぶされ、34名の方がお亡くなりになっています。
そのことが報道されたのは、しばらくたってからだったように思います。
今は、その被害を風化させないよう、百合野地区に地すべり資料館が建てられています。
1.17、どうしても神戸に関心が集まり、報道も神戸が中心になっていますが、他の地域でも大きな被害が出て、たくさんの方が亡くなられています。
地すべり資料館、いつか訪ねてみようと思いつつ、未だ行けていません。
今年こそは訪ねてみたいと思います。

ボランティア元年と言われる阪神淡路大震災の起きた1995年。
自宅にボランティアに来ていただくこともなく、仕事が忙しかったこともあり、ボランティアに行くこともせず。
2014年8月の丹波市豪雨で災害ボランティアに行ってみると、全国各地から本当にたくさんのみなさんが来られていました。
それをきっかけに、私も支援活動に行くようになりました。
2015年9月には、北関東・東北豪雨災害があり、栃木県鹿沼市・宮城県大和町・茨城県常総市で活動しました。
「丹波に行きましたよ!」というボランティアにもたくさん会いました。
そして昨年2016年は熊本地震と鳥取中部地震が発生。
常総市でできたつながりを頼りに、5月と8月にそれぞれ5日間、南阿蘇村へ。
地震被災地での活動は初めてで、豪雨・土砂災害とはまた違った活動を経験。
倒壊したお宅の安全確保をしていただいた上で、室内で貴重品探しをしたり、屋根上でブルーシートを張ったり。
その後、2017年・2018年とできる範囲で活動を続け、今は昨年9月に発生した台風21号で被災した大阪府岸和田市で屋根にブルーシートを張る活動をさせていただいています。
台風から4ヶ月がたった今も雨漏りしたままのお宅があるんです。
西日本各地の広範囲で災害があったため、修理業者の手が回らず、中には「2年後」と言われた被災者さんもいらっしゃいます。
屋根に登らず、下でやってもらう作業もたくさんあるので、「お手伝いしてみたい」という方はぜひ。

なぜ支援活動に行くのだろう?と自問自答してみると、

もちろん、困っている方の役に立ちたいという気持ちがベースにありますが、それは「被災された方が前を向くお手伝いなんだな」と感じています。
例えば半日で終わるような活動であっても、一人暮らしで話し相手を必要とされているような方の場合は、じっくり話を伺いながら1日かけて活動することの方が、その方がより元気になったり、前向きな言葉が出るようになったりします。
メンタルケアの専門知識があるわけではないので、寄り添う気持ちを大切にするくらいのことですが・・・。

そして、一緒に活動するボランティアのみなさん、ボランティアセンターのみなさんとつながりを築くことがとても大切と思っています。
いつどこで起きるかわからない災害、明日は私の住む町で起きるかもしれない。
そんな時には、つながりのあるみなさんがきっと支援に来て下さる。
災害は起きないのが一番ですが、起きるたびに少しずつつながりが広がっています。

災害と食物アレルギー

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『地域で考える防災「大阪編」~食物アレルギーを考える~』に参加してきました。
主催は、Living with Food Allergy、食物アレルギーと共に生きる会。
http://lfa2014.com/

現在、10~20人に1人は食物アレルギーのある子ども。
2015年12月に施行されたアレルギー疾患対策基本法では「災害時、食物アレルギー対応食品を適切なタイミングで必要とする人に支援する」と定められ、2016年4月に改訂された避難所における取り組み指針では「食物アレルギーの避難者が確認でき、安心して食べられるよう、避難所で提供する食事の原材料を表示した包装や食材を明記した献立表を掲示すること」が示されている。

大阪北部地震では、一部地域で給食が、おにぎり・コッペパン・イチゴジャム・牛乳の簡易給食になった。
小麦アレルギーの子どもはパンが食べられない。
かと言って、おにぎりを2個食べられるわけではない。
100人の児童がいれば、100個のおにぎりと100個のパンが用意されるからである。
牛乳にアレルギーがあれば、牛乳を飲むこともできない。

平成30年7月豪雨では、広島市のアレルギー支援団体から「物流が麻痺していて広島から届けることができない。関西から届けることはできないか?」と打診があった。
避難所では、小麦アレルギーの大人が食べるものがなく、無理してパンを食べて症状が悪化するという事態も起きていた。
「子どもたちの食べられるものがない」という声もあった。
同じ非常食ばかりでは食が進まなくなり、便秘の子どもも増えた。
SNSで寄付を募り、全国にいる食物アレルギーの本人や子どもの親から総額895,998円が集まり、基金を作った。
子どもたちが好む甘い物や、便秘解消のために食物繊維を含むゼリーなどを送った。
後でわかったことだが、実はアレルギー対応の支援物資も被災地に届いていた。
多くの支援物資に埋もれていたり、仕訳する人手が足りなかったりで、必要とする人に届かなかったのである。

北海道胆振東部地震では、「炊き出しをする際、コレを知ってほしいです!」という原材料表示の仕方についてSNSで発信すると、一気にシェアされ8万人以上に届いた。
原材料を表示したことで「安心して炊き出しを食べることができた」と食物アレルギー避難者から連絡があった。
同時に、基金を使い、アレルギー対応物資の支援も行った。

被災地からは、次のような声が聞こえてきた。
アレルギー対応食しか食べられないことを一般の人に知ってもらう、理解してもらうことが大切。
・アレルギー対応ミルクが手に入らない。
・炊き出しには何が入っているかわからない。
・避難所では「食物アレルギーがある」と言い出せない雰囲気がある。
・軽いアレルギーだと我慢して避難所の食事を口にしていたら、1週間後に一気に症状が出た。
・避難所には食べられるものがないから、危険でも自宅に戻るしかない。

市販のおにぎり、「お米だから」「ぱっと見、関係なさそう」と安心できない。
焼鮭のおにぎりには小麦、梅こんぶおむすびには乳成分と小麦、醤油まぶししらすのおにぎりには卵・小麦・えび・かに!
アレルギーの程度によるでしょうが、食べてしまったらアナフィラキシーを起こす方もいる
災害時、市販のおにぎりや弁当が配布されるのはよくあること。
でも、それが食べられない人がいる。
食物アレルギーのある方は、障害者、高齢者、妊婦などと同様に災害時には配慮が必要となる。
避難者名簿に「食物アレルギー有無」の項目を追加し、必要な配慮を!

阪南市災害支援活動

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3連休最終日は、台風21号で被害の大きかった大阪府南部地域にある阪南市の災害ボランティアセンターへ。
社協職員の方とちょっとしたご縁があり、センター閉鎖予定の活動最終日でしたが伺ってきました。
社協職員の方とは久しぶりに再会、顔を覚えて下さっていて良かった。

阪南市内に限らず、大阪南部の被害はやはり大きいですね。
報道では、関西空港が機能を取り戻しつつあることばかり取り上げられていますが、住宅・店舗・工場など、あちこちの屋根にブルーシートがかかり、剥がれてしまった外壁なども見られます。
一緒に活動した方の話では、2階の屋根ごと吹き飛んでしまったお宅があったり、神社にあった大木が何本も住宅地に倒れたり、使えなくなり道際に出された家財がまだ回収されずに残っているところもある等、報道されない被害があるそうです。

活動は、15人のボランティアが3件のニーズで活動し、お昼前には全て終了。
最終日ということで、スタッフのみなさんとボランティアが一緒に振り返り、交流する場として『災ボラカフェ』が催されました。
詳しくは、阪南市社協のブログで。
https://www.hannanshi-shakyo.jp/slug_relief/2382/

阪南市のスゴイとこ!
ボランティアセンターのキャッチフレーズ「すべてはみんなのニコニコとほっこりのために」
地域の高齢者を支える福祉委員会が小学校区ごとにあり、大学生たちがボランティア活動する団体smileがあり、中学生が地域活動の担い手として活躍する子ども福祉委員もいる。
日常的に福祉を支える地域のみなさんがいて、今回の災害でもその延長で小学6年生以上を対象にボランティア募集されています。
実際、多くの中学生・高校生が活動されたそうです。
素晴らしい~!!

篠山市東日本大震災等復興復旧支援活動事業助成の報告

篠山市東日本大震災等復興復旧支援活動事業助成の報告
笑顔つながるささやまステイに支援していただいている助成金の1つ、篠山市の東日本大震災等復旧復興支援活動事業助成金。
今夏ステイの報告書を提出してきました。
この助成金は、東日本大震災が起きたあとに、市民から集めた寄付金と同額を市の財源からも拠出して作られた制度です。
民間団体やNPOが支援活動する際に、申請に基づき助成する仕組みとなっています。
大きな災害があった後に行政が寄付を募り、赤十字や赤い羽根に寄付する話はよく耳にしますが、このような仕組みを作って活動を支援してくれるのは、あまり例がないのではないでしょうか。
活動する私たちにとっては、とてもありがたい制度です。

京都府総合防災訓練

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原子力災害対応訓練
綾部市で開催された京都府総合防災訓練に行ってきました。
多くのみなさんが、消防や自衛隊による救助訓練を見たり、避難所への避難訓練をしていたり、各種展示ブースや展示車両を見ている中、私が最も気になったのは原子力災害対応訓練。
福井県にある原子力発電所で事故や災害による損傷があった場合、近隣住民は避難することになるのですが、ココでやっていたのは「避難中継所」と呼ばれる機能の訓練。
原発事故により被ばくしたかもしれない避難者に付着している放射性物質を除染してから、避難させるための中継所です。

まずは、避難者のみなさんが乗ってきたバス自体も汚染されている可能性があるため車両検査&除染へ。
汚染を感知するゲートを通り、除染エリアへと進みます。
除染の方法は、作業員が濡れたウエスなどでふき取る、もしくは流水で洗い流します。
ウエスは汚染物となり保管が必要、水は汚染水となるため流してしまうことはできず、ドラム缶などに溜めることになります。

続いては、避難してこられた方々の検査と除染。
ゲート式の体表面汚染モニターでチェックし、汚染があった場合は確認エリアに行き、放射線測定器サーベイメーターで確認しながら、汚染された部分をウェットティッシュでふき取ります。
このウェットティッシュも汚染物となり、保管が必要です。
それでも取りきれない場合は、シャワーで洗い流します。
ここで脱いだ衣服も汚染物となり、保管が必要。
シャワーで使った水も汚染水のため、ポンプを使ってドラム缶に溜めます。
万が一の際、いったい何人の人が避難してきてシャワーを浴び、何缶くらいの汚染水が出るのでしょうか・・・。
シャワーで洗い流しても汚染が取りきれない場合、その方は体内が被ばくしている(内部被ばく)ため、救急車で搬送されるそうです。
ここでもいったい何人の人が搬送の対象になるんだろう?と思いました。

関西では原発が再稼働し、もんじゅの燃料取り出しも始まっています。
もちろん何ごとも起きないことを祈っていますが、万が一に備え、地震や豪雨だけでなく、原子力災害にも関心を持ってもらいたいです。

図書館へ寄贈

図書館へ寄贈
先月紹介した書籍『原発事故後の子ども保養支援 「避難」と「復興」とともに』
篠山市立図書館に寄贈し、審査を経て蔵書していただけることになりました。
市民センターにある図書コーナーにも置いていただける予定です。

書籍について、再度ご紹介。
著者は、リフレッシュサポート代表の疋田香澄さん。
笑顔つながるささやまステイをはじめとする保養に関する書籍が発刊されました。
保養キャンプの主催、現地での相談会開催、支援情報の提供、保養実態調査、避難者支援、支援の全国ネットワーク運営などを行ってこられた方です。

保養がなぜ必要とされているか、その実態や課題、制度や権利などについて、書かれています。

災害の被災者支援に関わる方、防災・減災に取り組む方、そしてもちろん子どもたちを災害から守りたいと想う保護者の方々にもお読みいただきたい1冊です。

広くしってただけるよう、図書館に寄贈いたしましたが、当実行委員会でもわずかですが、在庫しています。
売上の一部は、笑顔つながるささやまステイ並びに、現地での相談会開催、福島県内の養護施設への寄付となります。
ご希望の方はご連絡ください。
よろしくお願いいたします。
価格 2,160円(税込)

南予災害支援おまけ

南予災害支援おまけ
今回の災害支援でお世話になった活動拠点。
「みんなのスマホを充電するケーブルまわりがゴチャゴチャするので、何か作ってほしい」
そう言われて、作ったのがこの棚。
16本のUSBケーブルが差し込めるハブを使うので、スマホが4つ並ぶ棚を4段。
自分のスマホがわかるように、そして取り出しやすいように、棚板は4cmずつずらしてみました。
一応、家具屋の本領発揮ということでしょうか・・・。
みなさんに使ってもらえると嬉しいです。

南予災害支援

南予災害支援、1日目 南予災害支援、1日目 南予災害支援
南予災害支援 南予災害支援 南予災害支援
平成30年7月豪雨の災害支援で愛媛県西予市へ。
今日の現場は隣の宇和島市で、1軒目は床板はがし。
床下には数cm泥がたまっていますが、泥出しすることなく、消石灰がまかれた状態。
「家のためにも、住む人の健康のためにも、泥を出した方が良い。」というコーディネーターのアドバイスを受け入れていただき、後日ボランティアが泥出しできるよう、床板をはがして潜り込むスペースを作る作業です。
戦後すぐに張ったという床板は、釘もすっかり錆びていました。
抜けないものもありましたが、はがした床板は再利用できるよう、一緒に行った災害ボランティア初めての大学生と一緒にバールを使って丁寧にはがしていきます。

2軒目は床下泥出し。
発災から1ヶ月以上たっているにもかかわらず、家の裏側から流れ込んだ泥は、たっぷりと水分を含んだ状態で深さ10cm以上、臭いもしていました。
作業を始める前に、まずは養生。
泥出しが終われば、家主さんが元の暮らしを続けていくお家。
泥でお家を汚さないように、ボランティアが歩いても傷つけないように、ブルーシート等を使って覆っておきます。
養生してあっても、敷居や窓枠などを踏まないように気をつけることも忘れずに。
作業は、床下に潜って泥をバケツに入れる人、バケツを外に運び出す人、運び出された泥を土のうに詰める人、と連携して進めていきます。
途中から応援メンバーが増えたこともあり、予定していた部屋の泥出しは終了。
残りの部屋は後日の作業となりました。

広島県や岡山県に比べると、報道されることの少ない愛媛県ですが、住宅だけでも、全壊598棟、半壊2,958棟、一部損壊488棟、床上浸水898棟、床下浸水1,972棟と大きな被害を受けています。
(愛媛県災害対策本部8.24発表 https://goo.gl/vxYs2M)
みなさんの手がまだまだ必要です。
時間のある方は、広島県や岡山県も含め、お近くの、あるいは何か縁のあるところへボランティアに行っていただければと思います。
ボランティア活動には、いろんな活動があります、力仕事ばかりじゃありませんので。
詳しくは、全国社会福祉協議会の災害ボランティア情報のページをご覧下さい。
https://goo.gl/DYG7Ui

大阪北部地震 災害支援活動

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大阪北部地震 災害支援活動 大阪北部地震 災害支援活動
地元の高校生3人を連れて、大阪北部地震のボランティアに行ってきました。
雨がパラパラする予報ということもあって、屋根上サ行は中止となり、困っている方、困りごとがないかを尋ねる訪問活動へ。
張ってあるブルーシートも、風でバタついたり、めくれてしまったいるお宅も見受けられます。
もう既に工務店などに修理を手配済みであったり、賃貸の場合は大家さんに相談済みであったり。
1軒1軒、事情が異なることを改めて知りました。
そんな中でも、ボランティアのことをご存じない方がいらしたり、
途中、たまたま店先にいらした中華料理店のお兄さん。
近所でお困りの方がいないかを伺って、次へと進んでいると、自転車で追いかけてきて下さり、全体が見下ろせる高い建物へと案内してくださいました。
おかげさまで、どのあたりのお家にブルーシートが張ってあるかは一目瞭然。
その後の訪問活動がスムーズになりました。
そんなご縁もあり、お昼ご飯はみんなでお兄さんのお店で中華を美味しくいただきました。
訪問活動後は、力余ってる高校生と一緒に、屋根に張るブルーシートを押さえる土のうづくりをして終了。

最後に、高校生たちの感想を。
「今日みたいなボランティア活動は初めてで不安でしたが、午後からは慣れてインターホン押す恐れ1つなくなってました。今日は被災者の方に作業で直接役立つことは出来ませんでしたが声をかけるだけでも皆さんの役に立ててるんだなと思いました。土のうもまたどこかのお家で役立つことを願ってます。ボランティア団体の方にも大変お世話なりました、ほんとに感謝です。」
「悪徳業者がいることによって私たちのような本当に人を助けたいと思っている人達が疑われるのは大変悲しいことだと思いました。
でも、こーしたボランティアに助けられている人も多くいるのだとわかりました。」
「困っている人に手助けすることの大切さや、人の話を聞いてみないと分からないことがいま、たくさんあるんだなと思いました。
これから色んなボランティアに参加して協力して行きたいと思いました。
今日参加出来て良かったです。」