Archive for 2015年2月28日

聞こえない

聞こえない友人がFacebookに投稿した内容、本人からコピペの許可を得たので投稿します。
長文ですが、全ての聞こえる人に読んでもらいたい。
ーーーーーここから—–
いろいろあって疲れました。もうグッタリ。
あ、ただの愚痴です。
感動するイイ話とか癒される画像とかおもろいオチとかないです。
気に入らん人は読まないでください。
あと「それでも頑張るしかないよ」とか「前向きに頑張って」とか「周りのみんなに感謝」的な返信も今はいらないです。
Facebook向きじゃない内容なのは分かってるけどとりあえず吐き出したいの。ただそれだけ。
聞こえる人に、「聞こえない人が聞こえる人ばかりの中で、口を読み続けてコミュニケーションを取るしかない状態」の苦痛を理解してもらうって、どうすればいいんだろうね。
想像することはできるだろうけど、多分それって全然想像できてないし全然分かってないのよ。
だから平気で口の読み取りを要求して、「分からなかったら書いてって言ってね」とか平気で言ってしゃべりまくって、しかもそれが気遣いだと思ってたりするの。
聞こえない人と日常的に接してる聴者でも、そのあたり、本当に分かってる人ってあまりいなかったりする。
初めての相手と大事な話をする時に私が「筆談でお願いします」と言ってるのに、横から「ある程度は口の動き読んで分かるんで」とか言ってくれたりするともう、殴り飛ばしたくなるの。
口の読み取りって、聴者にとっては一番楽かもしれんけど、聞こえない私にとっては最低最悪の、最後の手段。手話とか筆談とか、そういうのができない状況の時だけ止むを得ず選択する手段なの。
筆談できる環境で、私が筆談を頼んでる時に、わざわざ横から「口読めますから」なんて、余計なこと言ってくれるなこのアホとしか言いようがない。
だいたい「口が読める」なんて簡単に言ってくれるけどね、読めるわけねーだろんなもん!!!って言いたい。
てか読めるわけないだろ、そもそも。エスパーじゃないんだから。
それでも、口の動きしか頼りになるものがないから、それに頼るしかないだけで。
「口読めるから大丈夫でしょ」って言われるのは、溺れる者が藁をつかんで奇跡的に生還したからって、「この人は救命胴衣なくても藁があれば大丈夫だから」とか言われるくらいの無茶ぶりなんだって。
毎日毎日、聞こえる人いわく「大した話じゃない」会話を読み取るためにめちゃくちゃ神経尖らせて無理難題と向き合ってるんだって。
「分からなかったら言って」って、それだと四六時中「分かりません」って言うしかないんだって。
分からないのがデフォなんだって。
常に「分からない」状態で、
「誰が今話してるのか話してないのかすら分からん」
「話してるのは分かるけど何言ってるのかさっぱり分からん」
「なんとなくこういう話をしてるんだろうという想像はつくけど実際何言ってるのかはさっぱり分からん」
「話の流れ的にこういう事を言いたいのだろうけど言ってることは分からん」
「◯◯って言葉が出てきたみたいだからとりあえず繰り返してみたら頷いてるので合ってるっぽい。でもその◯◯がどうしたのかはさっぱり分からん」
「言ってることは分からんけど多分こういうことだろうと推測して聞き返したら頷いてるから多分合ってるんだろう」
「なんとなくこういう話してるのは分かったけど結論どうなったのかは分からん」
みたいな感じで。常に「分からない」の幅の中でレベル上下してるだけ。
頭フル回転させて話の前後とか口の動きとか読み取って想像力を小説家並みに発揮してようやくこれ。
聞こえる人が会話するみたいに、スカッと「分かる」ことなんてあり得ないんですよ。
で、この状態でも「書いて」って言ったらまだなんとかゆっくり話そうとするでしょ。
もう手は尽くしたの。これ以上どう頑張っても無理だから書いてって言ってるの。
で、ようやく書いてくれて分かったら、次またしゃべってくるでしょ。そしたらまた最初からやり直しなの。
この状態のしんどさを、どうやったら聴者に体感してもらえるんだろう。
こっちが一切声も筆談もなしで、手話だけで話したら?
手話の分からない聴者なら、似たような状態にはなるかもしれないけど、それも違う。全然違う。
だってあくまでも「一時的」なのが分かってるもの。終わったら普通にコミュニケーションに困らない生活に戻れるんだもの。
聞こえない人は、「もう無理、ごめん終わりにして」と言ったって聞こえるようにはならんし、周りが手話できるようにもならん。
しかも、手話はなんとか頑張って読み取って一度覚えれば、次からら同じ手話がでてきたらわかる。だんだん読み取れるようになっていく。
でも、口の読み取りは、いくら頑張って読み取っても、次の瞬間にはまたゼロからスタート。どんなに頑張っても、次に同じ言葉が出てきたってヒントにならない。
聞こえない側が、こんな不毛な努力を毎日毎日、人に話しかけられるたびに繰り返してるのに、筆談頼んだら「時間がかかるから」「しんどい」「筆談じゃ話ができない」、じゃあ手話覚えてと言ったら「難しい」「時間がない」「いずれ」、手話通訳を連れて行っても「他の人の迷惑になる」
…何じゃそりゃとしか言いようがない。
だったらこっちがしてるのと同じだけの努力をしてみろよと言いたい。
私が毎日あなたの口を読み取るためににしてるの同じだけの努力をあなたがすれば、手話なんか数ヶ月で日常会話くらいできるようになるだろ、と思う。
結局、聞こえることが当たり前の社会の中で、聞こえない人は圧倒的に少数派。
聞こえる人が1日のうちに会う人のほとんどは聞こえる人で、もしかすると聞こえない人には一度も会うことがないまま一生終える人もいるのかもしれん。
でも、聞こえない人にとって、毎日毎日、会う人のほとんどは聞こえる人。
ほとんどの人とコミュニケーションが取れない状態で生活するのがどれだけストレスになるか。
それでも社会は、少数派の側にばかり、当たり前のように努力を求める。
結局、聞こえる人が声、聞こえない人が手話と、お互いに自分の楽な方法を押し通したらコミュニケーションが成立しないわけで。
だから、お互いにとって負担(聞こえる人だけが負担なわけじゃない)なのを承知な上で「筆談」という代替手段を提案してるのに、それすら拒否されるとか恩着せがましく言われるとかって、もうね。
そんなに聞こえるのが偉いのかと。
私だって、筆談より手話で普通にしゃべりたいわ。
それができんから、筆談でしゃべろうぜって言ってんのに、それさえこっちのわがまま、努力不足って扱いにされるん?
それで仕方なく口読もうと頑張っても分からなくて「分かりません」と言ったら笑われるん?
普段なら一緒に、笑って流したりもするけどさ。今、そんな余裕ないわ。
聞こえない人が聞こえないことの何が面白いんだか。
…こういうこと言ったら「聞こえる人が聞こえないあなたと話そうと頑張ってくれてるのに感謝がない」とか言う人が絶対出てくるんだけどさ。
じゃあ、ろう者が聴者と話す時に声で話したり口を読み取った時に、「聞こえない人が手話の分からない私と話そうと頑張ってくれてるから」と感謝してくれる聴者がいるか?って話。
「周りが聞こえる人ばかりという状況は変わらないんだから、愚痴ってないで慣れるべき」というのもね。
ふざけるなって言いたい。
仕事でもなんでも、しんどい状態が朝から晩まで、休みもなく何カ月も続いて、その状況が死ぬまで変わらないと言われたら、毎日のことだから慣れて平気になるのか?っていう。
ならないでしょ。疲れやストレス溜め込んで壊れるだけでしょ。
しんどい時に「しんどい」くらい言わせてよ。
もう、疲れた。
—–ここまで—–
いかがだったでしょうか?
私は、聞こえない友達ができて8年目になりますが、それまではいろんなことを誤解していたし、「正面からゆっくり話せば、唇読めます」と言ったこともあります。
それは、その人にとって、苦痛だったのかもしれないと、改めて反省しています。
そもそも聴覚障害者は誤解を受けやすい。
車いすに乗ってるわけでも、白杖を持っているわけでもなく、パッと見は聞こえないということを想像できないことが多い。
後ろから声かけても振り向けないから、「無視された!」と思われてしまう可能性もある。
補聴器をしていることがわかれば、「聞こえないのかな?」と思うかもしれないが、その補聴器も「付けていれば、普通に聞こえるんじゃないか」と誤解されていることがある。
個人に合わせて調整するものの、「あ」とか「い」とか聞き分けられなかった発音そのものが聞き分けられるわけではない。
元々の聴力にもよるから、全く聞こえない人に補聴器は役には立たない。
生まれつき聞こえないのか、中途失聴なのか。
聾学校・普通校の難聴学級・普通校の普通学級いずれで育ったのか。
家族も聞こえないのか、等々。
個人個人の環境によって、どんなコミュニケーション方法を取るのが、その人にとって一番なのかは違ってくる。
昔は、聞こえない人はみんな手話を使ってると思ってたけど、実際は大学生になってから手話を覚えたとか、大人になってから覚えたという話もよく聞く。
中途失聴の人は、日本語を学んでいるので、話すことができる。
話しかけられると、「聞こえるんじゃないの?」と思って、 しゃべり返してしまう。
しゃべり返されても、聞こえないから、外では絶対に話さないという中途失聴者もいる。
生まれつき聞こえない人でしゃべることができる人もいる。
親や聾学校の先生に、口の開き方・舌の位置・息の強さなどを厳しく教え込まれたから、しゃべることができる。
自分の発する声が聞こえない状況で、しゃべりを身につけることは、想像を絶する大変さだったと思う。
それに比べれば、聞こえる人が手話を覚える方がよっぽど簡単なはず。
実際にはなかなか上達しないけど・・・。

長くなってしまったが、その人にとって、どんなコミュニケーション方法が良いのか、常に考えるようにしたい。
友人の投稿を見て、改めてそう思った。

この文章を読んでくれた聞こえない皆さん、私もまだまだ理解できてるとは思えません。
後半に私が書いた部分にもし誤りがあったら、ぜひとも教えていただきたい。

畑の土砂撤去作業

畑の土砂撤去作業 畑の土砂撤去作業
昨年8月に起きた丹波市豪雨災害。
今日の現場は、畑の土砂撤去作業でした。
黒い土は畑の土、その上に赤い土(写真の赤い厚み分)が流れ込んで積もってます。
その厚みは、浅いところでも数cm、深いところだと10cm以上にもなります。
災害発生から半年以上たっても、こういう場所が残ってます。
家の土砂は取り除けていても、生活の基盤となる田畑の土砂はまだあちこちで残っているようです。
自宅が無事でも、生活再建となると時間がかかりますね。
自宅が被害を受けている方ならなおさらです。
きっとどんな災害でもそうなんでしょうが、細くても長く寄り添うことが大切です。

春近し

春近し
庭にフキノトウが芽吹いていました。
寒い寒いと思っていても、春はちゃんとやってくるんですね。
これから梅が咲き、桜が咲き、新緑の季節へ。
四季のある日本に生まれて良かった。

免許更新

免許更新 免許更新 免許更新
免許の更新に行ってきました。
残念ながら、ブルー→ブルー。
前回の更新は、H24.6.21。
「中途半端な時期?」って思われますよね。
そう、3年ほど前に新たな免許を取ったんです。
この時取ったのは、中型自動車の8t限定解除と大型二輪。
H19年に免許制度の改正があり、それ以前に普通免許を取った人は「中型車は8tに限る」と記載されています。
そして、その限定を解除すると、29人乗りのマイクロバスを運転することができます。
この限定解除教習がなかなか大変。
たった5時間、しかも路上教習なし。
1時限目は、教習所内の外周を右回り・左回りするんですが、2時限目にはもうS字・クランク・行かされます。
みなさんもチャレンジしてみませんか?

これも看板づくり

これも看板づくり これも看板づくり
板に文字を彫り込む看板もあれば、板に文字を貼り付けて作る看板もある。
ということで、ひらがなを白く塗装しました。
今回は旧保育園の部屋に取り付ける看板で、各部屋に元々取り付けられていたかわいらしい看板も活かすため、雰囲気に合わせてひらがなを採用。
ひらがなって、並んでるだけで何だかかわいらしいですよね。
普段なかなかやらないかわいいものづくり、保育園の雰囲気を壊さないよう、ガンバリマス。

雨どいが・・・

雨どいが・・・ 雨どいが・・・
朝、外に出てみると、なんか落ちてる。
材木置き場にしている建物の雨どいでした。
古い建物なので、そりゃいろんなところにガタが来ますよね。
雨どいくらいなら自分で直せるので、たいした問題じゃないんですが、いま大きな問題が・・・。
給湯器の寿命が来たらしく、給湯はできるんですが、お風呂の追い炊きができません。
温度が上がらないんです。
適温に設定しても、ちょっと温かいプールくらい。
無理して入れないことはありませんが、カラダ温まりません。
こちらは本業の方に見積もり依頼中。

つるやのサラダパン

つるやのサラダパン つるやのサラダパン
滋賀県からやってくるボランティア仲間が買ってきてくれた『サラダパン』
中にはマヨネーズで和えたたくあんが入ってます。
1本いただきましたが、普通に美味しかったです。
Wikipediaによると、最初はキャベツが使われてたそうなんですが、たくあんの方が食感も良く、保存も利くので、たくあんに変えたらしい。
そして、「たくあんも野菜じゃないか」という理由から、『サラダパン』という名称は変更されなかったそうです。
このサラダパン、滋賀県内のスーパーでも、週に1度だけ数量限定で販売されるらしく、スーパーによって販売する曜日が違うとのこと。
すると彼は、「ボランティアに来る前日に発売されるスーパーがどこにあるか?」わざわざメーカーに問い合わせ、該当のスーパーに「取り置きしてほしい」と電話したものの、「数も少ないし、他にも欲しい方がいるから、取り置きはできない。」と断られたため、スーパーが開く前から雨の中並び、開店と同時にパン売場へダッシュし、20個買ってきたそうです。
パンそのものより、そんな気持ちが嬉しい『サラダパン』でした。

梅プロ、2年目のパック詰め

梅プロ、2年目のパック詰め 梅プロ、2年目のパック詰め 梅プロ、2年目のパック詰め
梅プロ、2年目のパック詰め 梅プロ、2年目のパック詰め
梅プロ、2年目のパック詰め
『梅干しを福島に送ろうプロジェクトfromたんばささやま』
東日本大震災の福島第1原発事故のために福島を離れ、篠山に避難移住された皆さんのグループ『こっからネット』の活動の一つです。
福島を離れた今も、故郷の友人・知人を想い、「何かできることはないか?」「想いを伝える方法はないか?」と考えて始められた活動です。
梅干しは日本で古くから食べられてきた健康食で、放射能被ばくにも有効という説もある食品。
福島では、放射能の影響から梅を天日干しすることができず、県外産のシソも入手しにくく、梅干しを作ることができません。
昨シーズンから始まった梅プロも、今日2シーズン目のパック詰めを迎えました。
昨年6月・7月に、みんなで漬けた梅をそれぞれが持ち帰り、時期が来たら、シソを入れ、天日干しをして、梅干し作り。
そして今日、こっからネットメンバーと、賛同者あわせて20名ほどが、それぞれの梅干しを持ち寄り、70kg以上の梅干しが集まりました。
それぞれの梅干しを試食して、パック詰めしていきます。
子どもたちを中心に、消しゴムはんこと手描きでラベルも作りました。
その結果、145パックの梅干し、49本の梅酢を福島の皆さんに届けることができます。
皆さん、お疲れさまでした。

来年、「梅を提供してもいいよ!」「一緒に梅干しを漬けたい!」という方がいらっしゃいましたら、ぜひともご連絡ください。
篠山以外にお住まいの方もOK!
皆さんのご協力をお待ちしています。
梅プロについては、http://umefuku.exblog.jp/i2/
こっからネットのFacebookページは、http://goo.gl/nXBjNb

講演その後

昨日、とある宗派の住職さん達にお話しさせていただいた「丹波市豪雨災害 被災地支援の経過と現状」。
一緒に活動しているボランティアからも「聞きたい!」と言ってもらったので、活動のお昼休みに話しました。
ちょうど、地域の被災者さん数人もいらっしゃって、一緒に聞いてもらいました。
「聞けて良かった」
「災害ボランティアもいろんな活動の場があるんですね」
「隠れた被災者に目を向けることが本当に大事」
「もっとたくさんの人に話してほしい」
等々、 感想をいただきました。
ということで、できるだけたくさんの方に聞いてもらえるよう、発信していきたいと思います。
一緒に活動しているボランティアのみんなには、また昼休みか活動終わりの時間に。

講演してきました

丹波市豪雨災害、講演してきました 丹波市豪雨災害、講演してきました
「丹波市豪雨災害のボランティア、その経過と現状を話してほしい。」
とある宗派の住職さん達へお話しする機会をいただき、今日がその本番。
「被害の状況」「支援のきっかけと実際の活動」「活動を通して感じたこと」「最近の活動状況とこれから」大きく4つについて、お話ししてきました。
「わかりやすかった」とお言葉をいただきましたが、果たして上手くいったかどうか・・・。
手元にメモも持っていたんですが、プロジェクターを使っていたので暗かったことに加え、見る余裕もなく、必死で頭の中にある引き出しを開けました。
とりあえず、自分の伝えたいこと・伝えるべきと思ったことは話せたと思います。
まさか、こういう機会をいただくなんて夢にも思いませんでしたが、良い経験をさせていただきました。
「聞きたい!」という方がいて、またどこかで機会があれば、伝えること・忘れないことも大切だと思うので、お話しできればと思います。